修験道開祖役行者 下関行者堂
由 来

酉谷寺ゆうこくじは浄土宗(総本山知恩院)の法流にて開山、安土桃山時代、天正四年(1576年)西蓮社忠誉上人により創建された寺であります。当山は浄土宗でありますが何かの関係で修験道の開祖、役行者えんのぎょうじゃ神変大菩薩じんべんだいぼさつ)を祀る行者堂が建てられておりました。明治政府が行った修験道廃止令(明治5年、1872年施工)の法難により、この行者堂も廃堂を余儀なくされ堂に祀られていた行者像と不動明王像を酉谷寺が引取り保管しておりました。あの大東亜戦争の末期、下関空襲の際、本堂、庫裏、鐘楼堂等全てを焼失しましたが唯一これらの像を安置しておりましたレンガ造りの蔵だけが火災を免れ二体の像は無事に残り現在に至っております。以前より行者堂を再建したいと考えておりましたがこの度、お檀家の皆様のご支援を賜り二体の像を修復しました。ここに百数十年の時を越え、「下関行者堂(しものせきぎょうじゃどう)」として行者堂を復活する事が出来ました。

下関行者堂外観 下関行者堂外観 下関行者堂外観正面 下関行者堂中
修験道とは
日本は国土の7割が山で占められ古来、日本人は山には神仏や祖霊が宿ると信じ崇拝して来ました。修験道は日本古来の山岳信仰と仏教等が習合した日本独特(日本発祥)の宗教であります。深い山(聖域)に分け入り苦行を重ねる事により超自然的な 験力げんりきを得て自他の救済を目指す実践的な宗教であります。修験者の事を山伏ともいい、山に伏して修行する姿から山伏と呼ばれます。
行者像と不動明王像
修験道と不動明王の関係
本来、修験道の本尊は修験道開祖、役行者が修行中、感得(祈り出す)したとされる 蔵王権現ざおうごんげん でありますが、山の守護神でもある不動明王も修験道の本尊ともされているのでしょう。
行者像と不動明王像と五具足 左:不動明王像と右:行者像
下関行者堂(酉谷寺)の行者像と不動明王像について
この二体の像は数百年前の作と思われますが出来映えは素晴らしく、これらの像を制作した仏師は卓越した技法の持ち主だったと思います。またこの行者像は脇待に善童鬼(前鬼)と妙童鬼(後鬼)を従えた三体の物で貴重な作品です。
二体の像の修復(レストア)について
この行者像(写真上右)は年代物(数百年前の作)ですので経年変化の風合いを生かした古代色仕上げで修復いたしました。一方の不動明王像も同じ年代に制作されたものですが、明王像はカラフルな衣装をまとい色彩豊かな仏像なのでこちらは古代色仕上げではなく新調仕上げ(新品同様の仕上げ)で修復いたしました。
信楽焼きの狛犬と役行者が従えている鬼 珠猫神社の狛犬(写真左上)ですが、向って右の口を開いている方が阿形(雌)左の口を閉じている方が吽形(雄)です。雄に角がある古代型の狛犬です。役行者が従えている鬼(写真左下)も 阿形 あぎょう 吽形 うんぎょう うん )の一対の姿です。
役行者 えんのぎょうじゃ 神変大菩薩 じんべんだいぼさつ )とは
今より約1300年前(7世紀後半)飛鳥時代から奈良時代に掛けて活躍した修験道の開祖として尊崇される実在の人物です。没後1100年の御遠忌(千百回忌)に際し、その威徳を称え寛政11年(1799年)に朝廷(光格天皇)より神変大菩薩の諡号を贈られております。
役行者(神変大菩薩)ご利益
役行者は山岳修行の第一人者であり険しい山野を駆け巡って苦行を重ねた事に由来し、今日では特に足腰の弱い方やアスリートを守護してくださる健脚の神様とも言われております。
ご利益
足腰の病気、怪我平穏
足腰の病気の回復や
緩和のご祈願
健脚祈願
登山の安全祈願
陸上競技等スポーツにおける
足腰守護と上達祈願
不動明王のご利益
災難を取り除き迷い(煩悩)を断ち切る勇気を与えてくださる仏様です。
ご利益
厄除け
開運
商売繁盛
当山は浄土宗でありますが、役行者(神変大菩薩)は1300年の歴史を誇る修験道の開祖であり、修験道は日本発祥の伝統ある宗教として日本文化の一端を担う存在でもあります。敬意をもってここにお祀りさせていただいております。
南無神変大菩薩 合掌 

ここに記述したものはネットの資料から参考・参照し簡略に述べております。修験道及び役行者についてのご質問等は受け付けてはおりません。詳しくお知りになりたい方は専用サイトでお調べください。
拝観について
授与品(朱印・御守)及び、絵馬等の準備の都合上、拝観はしばらく出来ません。お待ちください。
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下関行者堂(商標登録済)
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